民のかまど

近々、消費財が増税されそうです。
経済学者などの間でも賛否が分かれている問題です。
今回はこの消費税増税を日本書紀に記されている民のかまどを用いて、神話の観点から考えてみたいと思います。

民の竈のあらすじ

仁徳天皇は、高台に登られて国を見渡されました。その時民家のかまどから煙が上がっていなかったので仁徳天皇は「民が貧しくて炊飯できるほどの食料がないから煙が上がっていないのではないか。畿内ですらそうならば、他国は言うまでもなかろう。」と仰せになり3年間の徴税を免除しました。
そのため、服はボロボロになるまで使い、皇居は塀や屋根が壊れても修理をしませんでした。しかし、仁徳天皇はそのまま3年間徴税を行いませんでした。
3年後再び高台に登られると民家から煙が上がっていました。そして、仁徳天皇は「我は富んだ。心配することはない。」と皇后におっしゃいました。すると皇后はこの状況でなぜ豊かになったのかと尋ねられました。すると、仁徳天皇は「政は民のためにある。民が富んだということは、天子である我も富んだということだ」とおっしゃいました。
その後、民や権力者が「私たちは十分豊かになりました。皇居がボロボロになってしまった今、税を納めなくては罰があたります。」と申し出ましたが、それでもなお仁徳天皇は更に3年間の税の免除を続けることとしました。
その後に「陛下にこんなところに住まわれているのは申し訳ない」と申し入れがあり、徴税免除から6年後にようやく税を徴収しました。その際、民は自主的に皇居の修理や徴税に励みました。

現代の政府と仁徳天皇

以上が仁徳天皇の民のかまどです。この逸話こそが仁徳天皇が聖帝と言われる所以でしょう。
ただ、仁徳天皇が素晴らしいで終わってしまえば何も得られるものはありません。この話の教訓を考えてみましょう。
徴税を行う場合、国民が貧しければその分税収も下がってしまいます。なので、税収を上げたければまず、国民の富を増やすことが重要です。もし、国民が貧しい状態で税率を上げてば国民はより貧困となり、結果として税収は下がります。
つまり、仁徳天皇の行動は素晴らしいですが、合理的でもあるのです。つまり、仁徳天皇は当たり前のことをしたのです。しかし、当たり前のことが当たり前のようにできることが偉大なのです。
今の政府が行おうとしている消費税増税は、国民が貧困化している状況で税率を上げる行動に他なりません。つまり、経済は縮小して結果、税収も下がるでしょう。

結論

今、消費税増税はやむをえないと考えている人がたくさんいます。しかし、民のかまどを知っていればそうは考えないはずです。
歴史学者のアーノルド・j・トインビーは「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅びる」と言っています。今の日本人は、何を言っているのか全く理解できないでしょう。しかし、この民のかまどと消費税増税を見ると良く分かるのではないでしょうか。
神話にはこの様な教訓が多くあります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする