お金は信用を数値化したもの

「お金は信用を数値化したもの」
という言論を目にします。
この言論自体は、正しいと考えます。
先日、餃子屋でもめた人もその様な発言をしています。
しかし、そういった方々はその後、
これからは仮想通貨が流行るなど言いだします。
やはり彼らは、お金の本質を理解していません。
今回は、お金の本質を本タイトルから説明します。

彼らの考え

彼らとは

彼ら、と書いていますが具体的にはグローバリストです。
グローバリスト全員が、お金は信用を数値化したもの、
という言論を唱えている訳ではありませんので、
ここでは、お金は信用の数値化と語るグローバリストとします。

考え方

彼らの定義が終わったところで、
彼らの考えを説明します。
1000万円所持している人がいたとします。
彼らは、その所持している人に1000万円の信頼があると考えます。
ですが、考えて欲しいのです。
もし仮に、宝くじで1000万円あったた人にも、
1000万円の信頼があると思いますか?
答えはNOです。
彼らは、ここを勘違いしているから、
仮想通貨や政府はいらない、
という滅茶苦茶を言うのです。

誰の信用?

とはいえ、私自身「お金は信用を数値化したもの」
という言論は正しいと思っています。
しかし、彼らとの決定的な違いは、
誰の信用を数値化しているかという点です。
彼らの場合、1000万円持っている人の信頼だと説明します。
つまり、債権者に信頼があると考えているのです。
ですが、それは全くの逆で、
お金とは債務者の信用を数値化したものなのです。

具体例

債務者の信用と書きましたが、具体的に説明します。
先ほどの1000万円所持した人で考えます。
この1000万円が銀行預金だったとします。
この場合、債務者は銀行となります。
つまり、この1000万円は、銀行の信用を数値化したものなのです。
もし、1000万円が現金紙幣であった場合は、
債務者は日銀なので、日銀の信用を数値化したものとなります。

信用が無ければお金は借りれない

何の信用もない人間が、宝くじに当たるなどの幸運で、
お金を手に入れることはあるでしょう。
しかし、信用が無ければお金を借りることはできません。
銀行に融資を申し込んでも、
応じた能力に見合った融資しか受けることはできません。
また、企業が支払いを小切手で行おうとしても、
不渡りを起こしそうな場合、それを拒否します。
つまり、お金を貸せる額は、債務者の信用の数値化なのです。

お金の本質

「借入額が信用の数値化なのは分かったが、
それとお金はまた違うだろ」
と言ってきそうなので、ここからお金の本質を語ります。
お金とは、借りたら生まれ返せばなくなります。
銀行の融資を例に見てみます。
銀行に1000万円融資してもう時、
銀行は集めた預金から1000円を貸し出す訳ではありません。
借り手の通帳に1000万円と書くだけです。
つまり、1000万円借り入れたらこの世に1000万円が生まれるのです。
ちなみに、この預金の1000万円は銀行の負債です。
つまり、銀行は借り手の信用を担保に、自らの負債を発行したのです。
そして、この預金が世の中でお金として機能します。
つまり、お金とは債務者の信用を数値化したものなのです。

結論

世の中に流通している通貨は、現金紙幣か銀行預金です。
つまり、日銀と銀行の信頼があって通貨が成立しているのです。
また、政府が赤字支出することで銀行預金も増大します。
これは、政府の信頼を数値化したものです。
この様に、お金とは大きな後ろ盾が無くては成立しないのです。
勿論、例外もあるでしょうが、それはいたって稀なケースです。
仮想通貨が主流通貨になるや、政府はいらないと言っている人は、
もう一度お金について考え直すべきです。

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