いじめと民主主義

このサイトで私は民主主義を大切にしようといった趣旨の発言を何度かしています。
ですが、民主主義は絶対であるとは考えていません。むしろ、使い方を間違えれば恐ろしいこととなる劇薬であるとも考えています。その最たる例がいじめです。
また、多くの国民はいじめはいけないという意見でしょう。
ですが、多くの国民は、いじめはダメだという意見を持つに値しない思考回路であると考えます。
今回は、いじめと民主主義について考察します。

直接民主主義

まず、日本では直接民主主義がなぜ行われていないのでしょう?それは、直接民主主義は民主主義の体をなしていないからです。それについては直接民主主義で民主主義は壊れるで説明しています。ですが、多くの国民は維新やN国といった直接民主主義に訴える政党を支持してしまいます。これは、民主主義を理解していないと考えてよいと思います。

ルサンチマン

次に、多くの国民はプロパガンダによってルサンチマンを煽られやすいということです。郵政公社は既得権益だとして民営化されました。市役所はシロアリだとして公務員を派遣社員にしました。既得権益というプロパガンダからその人たちを叩き最終的には解体してしまいます。多くの国民は簡単にプロパガンダに騙されてしまいます。

いじめは民主主義

ここで、いじめと民主主義の関係を説明します。
いじめが起きている時、その人はクラスないしは団体において多数決でいじめの対象者を決めています。そして「その人はいじめてもいい」といった空気がそこに蔓延します。いじめとは数の暴力によって起きるのです。つまり、いじめは民主主義によって起こるのです。そして、いじめの対象者は、誰かがプロパガンダを流し、ルサンチマンを高められることで決まります。つまり、既得権益を叩く行為はいじめと何も変わらないのです。

結論

以上がいじめと民主主義です。
いじめは民主主義によって起きます。
チャーチルの名言で「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」とあるように、民主主義は完璧ではありません。そう考えたとき、民主主義とは何か、政治とは何かをもっと深く考えられるようになるのではないのでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする