バブル崩壊は日本人にとってインパクトの大きい出来事でした。
ですが、なぜこのような事態になったのかを正確に理解しなくては今後の日本を良くすることは出来ません。
今の日本ではバブル崩壊の原因を勘違いしているためずっとデフレ不景気なのです。
今回はバブルが崩壊した理由を説明します。
なぜバブルは崩壊したのか
バブルが崩壊した理由は一言で言うと「金融政策の失敗」です。
多くの人がここを勘違いしているため日本は20年間デフレが続いています。
当時どのような状況からバブルが発生し、その後バブル崩壊が起きたのでしょう?
当時の貿易関係と金利の低下
1980年代日本の経常収支黒字がアメリカで問題となっていました。当時のアメリカは新自由主義に染まっていたため、日本の金融や市場の規制緩和を求めました。そこで日本政府は1984年に大口預金金利の自由化、外貨の円転換の廃止、外国企業単独での信託業務進出の承認などに合意しました。金融市場を自由化したことで金融機関の行動が積極的になりました。これがバブル発生の発端となりました。
1985年にのプラザ合意により急速に円高が起きました。この時の円高は1年でドルの価値が半分の1ドル150円になるほどの勢いでした。このため、日本では円高不況が起きました。そのため1986年1月から翌年の2月まで公定歩合を計5回2.5%にまで引き下げました。
金利政策の失敗からバブル崩壊
1987年には景気は回復し、資産価格の上昇も顕著となりました。そこで、日銀は金利を上げ金融引き締めを行おうとしました。しかし、1987年10月にアメリカの株価が大暴落するブラックマンデーが起きました。そのため、日銀は金融引き締めは行わずに低金利政策を維持することとしました。さらに、1988年1月の日米首脳会談で短期金利の低め維持が言及されたことにより、再び金融引き締めの機会を失いました。結局2.5%という低金利は1989年5月まで続きました。2年以上に及ぶ金融緩和によってバブルは膨張したのです。
その後、日銀が金融引き締めを行ったことで、1991年3月にバブルは崩壊しました。日銀が金融引き締めを行わなければバブルは崩壊しなかったわけではありません。バブルは実体経済と金融経済の乖離によって起きるためいずれ崩壊します。なので、バブルは発生したことが大きな問題なのです。
結論
以上がバブル発生から崩壊までのプロセスです。
バブルは金融政策の失敗であり、財政政策は関係ありません。その後の日本は財政政策をいろいろと変え日本経済は疲弊しました。
現在の経済が低迷している理由を根本的に理解しなくては、正しい政策を行うことは出来ません。バブルは金融政策の失敗で今の日本は財政政策を失敗しているとしっかり理解しなくては正しい政策を行うことはできません。