農業が始まったことは、人類にとって大きな転換となりました。
しかし、農業の始りは非常に謎が多いのです。今回は、農業が始まりについて考察します。
初期の農業の真実
多くの人は、農業が始まったことで人類は安定して食料を確保できるようになったと考えています。ですが、実際はその逆です。農業が始まり人々は安定して食料を手に入れることが出来なくなりました。農業が始まったころは、今の様に効率的に農業を行うことが出来ません。そのため、作物を安定して収穫することは出来ません。自然災害が起きれば、ひとたび人類は飢饉となり飢えてしまいます。また、農業を行うことで食べ物の種類も限定的となります。狩猟採集の時代なら、あらゆる植物を採り、それを食べていました。 定住をしていた分、乳幼児の死亡率は低くなったので、全体の平均寿命はあまり変わりませんが、農業が始まった時代は、狩猟採集の時代の寿命よりも短かったのです。また、労働時間も狩猟採集時代はせいぜい5時間程度でしたが、農耕時代は朝から晩まで労働していました。農業を始めて人々は忙しくなりました。
それでも農業をした理由
では、なぜ人類はこんなにも非効率な農業を始めたのでしょう。これについてはハッキリとした答えは出ていません。ですが、有力な説としては、人類が穀物の奴隷なったというものです。人々が穀物の奴隷となり、穀物を世界中で栽培すれば、穀物は世界中で大繁殖します。そうなれば、人類も同じ様に人口を増やすことが出来るのです。これが、農業が始まったとされる最も有力な説です。
個人の幸福と種としての幸福
さて、農業が始まり人々の生活はどう変化したのでしょう。労働時間は多くなりました。余剰が出来たことで格差が生まれました。所有の概念が出来たことで、土地などの奪い合いが起きました。つまり、農業を始めたことで人類は不幸となったとも考えられます。ですが、この不幸は個人の不幸であり、種全体で見れば、人口が増え繁栄して幸せなのです。個人の幸せと種の幸せは必ずしもイコールではないのです。
結論
現代の格差は、農業革命から始まっています。もし、格差を無くしたいと考えるなら、この頃の歴史も知るべきです。「格差を無くす」と言うのは簡単です。しかし、格差の根底は農業の始りにあります。農業が悪とは言っていません。ましてや、人類は農業をやめろなんて言いません。しかし、格差問題は人類にとって非常に根が深い問題なのです。