多様性

多様性を受け入れろという言葉を最近よく耳にすると思います。
しかし、多様性とはいったい何なのでしょう。
そして、それを受け入れるとはいったいどういったことなのでしょう?

この多様性という言葉を調べてみると、様々な性質をもつものが存在することとでてきます。
おそらく、多様性を受け入れろと主張する人は様々な考え方や文化を持つ人を受け入れろと言っているのでしょう。

様々な考えを受け入れろと言っている人は、少数派の考えを受け入れろと言っているのでしょう。しかし、様々な考え方の中には多数派の考えも含まれています。つまり、様々な考え方を受け入れろと言っている人の本音は、少数派の意見を通そうとするノイジーマイノリティでしかないのです。

様々な文化を受け入れろという意見は反対はしません。しかし、一般的に文化を受け入れろと言っている人とは主張が違います。文化の違う国に行ったとき、そこへ行った人の文化を受け入れろというのが一般的な意見でしょう。それも大切な事かもしれませんが、私の意見はその逆です。違う文化を持つ国に訪れた人がその国の文化を受け入れなくてはいけないのです。郷に入れば郷に従えです。

そもそも、多様性を受け入れろという言葉は「私は嘘つきです」と同じくらいのパラドクスが存在します。
多様性な考えの中には多様性を受け入れない考えが存在しているはずです。つまり、多様性を受け入れない考えを受け入れながら、多様性を受け入れろと訴えているのです。
つまり、自分の意見を通したいがために耳障りのいいことを言っているに過ぎないのです。

自然科学での多様性は、なかなか作り出せないが、壊すのは簡単とされています。受け入れろというのは簡単ですが、本当の意味での多文化共生を作り出すことは非常に困難で時間がかかることです。

多様性を受け入れろと訴えている人ほど多様性を受け入れていないのが現状でしょう。耳障りにいい言葉で議論を避けているからです。多文化共生ができるのであればそれは理想であるのは事実でしょう。しかし、それを実現していくには多くのコンセンサスが必要で簡単には実現できない問題ではないでしょうか。
もし、多文化共生を目指すのであれば、長い時間議論を重ねなくてはなりません。

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