「よく1万円札を1万円として使うのは、
その紙に1万円の価値があると思い込むから使う」
という考えが一般的にされます。
しかし、この考えは非常に無理があります。
金属主義
かつて、金貨銀貨を使っていた金属主義の時代、
お金にはお金そのものに価値がありました。
その金や銀の価値が紙にあることとし、
作られているがお札だと考えます。
確かに兌換紙幣ならそうなのですが、
今は票券主義な上、ニクソンショックによって、
金以上にお金があることは周知の事実です。
この、お札に価値があると思い込むというのは、
金属主義自体の名残でしかないのです。
借用書
お金は借りたら生まれ返せばなくなります。
早い話がお金は借用書なのです。
事実、お札は日本銀行の負債証明であり、
銀行預金は銀行の負債です。
もし仮に、お札の価値が思い込みなら、
借金は思い込みだと言って踏み倒せます。
ですが、そんなことをしたら、
債権者にぼこぼこにされます。
つまり、お札の価値は思い込みだという考えは、
かなり非常識な考え方なのです。
結論
冒頭の考えは中世ヨーロッパの名残です。
それに、人々が日本円を使うのは、
日本円による納税の義務を課しているからです。
お金の本質を知れば世の中の見方も変ります。
そのためにぜひ過去の記事も参照ください。