ドイツの軍人であるハンス・フォン・ゼークトの言葉に「軍人には4つのタイプに分類される。有能な怠け者は司令官にせよ。有能な怠け者は参謀に向いている。無能な怠け者も連絡将校か下級兵士くらいは務まる。無能な働き者は銃殺するしかない。」というものがあります。
この言葉は、ゼークトの言葉ではないともされています。
しかし、この言葉は非常に興味深いので考察をします。
はじめに
有能な人は、有能であることで価値があります。逆に、価値があるから、有能であるとされているのかもしれません。どちらにせよ、有能な人間に関しては議論の余地は無いでしょう。
この言葉の面白いところは、無能の場合働き者よりも怠け者の方が良いということです。短絡的に考えた場合、怠け者よりも働き者の方が良いでしょう。世間の常識でも働き者が良いとされています。ここから、この言葉は世間の常識からズレていて、そこが非常に興味がそそられます。
無能な働き者
失敗の責任
無能な働き者が害悪でるとされている理由に、自分の勝手な判断で行動をして、失敗をすることで、仕事が増えることとされています。他に、多くの仕事をこなすが、間違いも多いため、その穴埋めのため仕事が増えます。いずれにしても、無能な人が働いた結果、失敗が多く結果仕事が増えるだけだということです。
これらが、無能な働き者が害あるだとされる最も一般的な考えです。
正義感
先ほどの考え自体は私自身も賛成ですが、他にも理由があると考えます。それは、無能な働き者は他人にも押し付けることです。本来合理的でない事でも、自分がやっているから、それは正しいと思ってしまいます。世間一般では、働き者は美徳であるとされているので、自分は正しいという考えが抜けません。例を出すと、ごみの分別はそれに当たります。ごみの分別など百害あって一利なしです。ですが、世間では分別をするように言われます。そのため、分別をしている人は分別をしていない人に分別をするように注意します。注意した人は自分に正義があると思っているでしょう。ですが、ごみの分別など意味が無く、他人に不当な労働を押し付けているに過ぎないのです。自分が勝手に分別をする分には構いません。ですが、無駄な正義感で他人に押し付けるのは間違いです。
ゴミの分別以外にも、合理的でないことを美徳だとして他人に押し付けることがあります。無能な働き者が蔓延る社会では、円滑に社会を回すことはできません、
結論
以上が私の考える無能な働き者です。
何事も始めは無能であり、それは仕方のないことです。無能であるなら、有能になる努力をすべきです。ですが、努力することと働くことは別物です。そして何より、自分の考えを、論理的な根拠もなく無理やり他人に押し付けるようなことは、決してしてはならないのです。