お金と責任

お金をもらって仕事をする場合、仕事をする側には責任が生じると多くの人は思っています。お金を貰っているのだから、しっかりと仕事をしろといった具合にです。
この考えは、日本人にとっては常識でしょう。しかし、この考えは、この常識は、本当に正しいのか考えます。

名前を奪われる

まず、お金を払っている側が、お金を受け取る側から貰っているものは何でしょう?それは、労働力でしょう。そして、その労働力で得られた成果は、雇った側の成果となります。つまり、雇われた側には、成果が残りません。これは、極端に聞こえるかもしれませんが、実際はそうなっています。まず、会社で何かしらの成果を上げた場合、成果を上げた人間は会社での評価は上がるでしょう。しかし、会社以外の世間では、会社の成果となります。つまり、被雇用者は雇用者に名前を奪われたのです。

時間を奪われる

奪われたのは名前だけではありません。同様に時間も奪われます。この様に述べると、仕事をしたことで、技術が身についたという反論も来るでしょう。確かにその通りでしょう。ですが、お金を払っていることを理由に、やりたくもない、何の技術も身につかない仕事をさせられることも多くあります。むしろ、そういった仕事の方が多いでしょう。
つまり、雇用者が被雇用者から買ったものは、被雇用者の時間です。日本では、時は金なりという言葉から、時間とお金は等しいものだと考えます。ですが、時間泥棒で書いた通り、時間はお金よりも大切なのです。むしろ、お金と時間の価値が等しいという考えが、日本人を不幸にしているのです。

法人と負債

では、被雇用者側の責任はどうなのでしょう?
まず、法人という立場から考えます。被雇用者が何かしらの、失敗をした場合、先ほどの名前を取られる話から、責任は会社になります。つまり、被雇用者は法人により守られていることとなります。しかし、これは当然の話です。そもそも、法人は、個人資産を守るためにできたものです。つまり、個人の責任を回避するために法人は存在しているのです。
次に、雇用者と被雇用者の関係で見たとき、雇用者が払うお金の本質は、あくまで負債です。他人の時間を負債で弁済するなんて当然です。ここで、お金を払っている雇用者の方が上の立場で、被雇用者の責任を一方的に主張するのは、おかしのです。

結論

結論として、雇用者は被雇用者から名前と時間を、お金によって弁済している関係です。お金は、あくまで負債であり、弁済手段の一つでしかありません。
そして、法人は個人の責任を回避するためにできたという歴史があります。つまり、個人の責任を無くすために、会社はあるのです。
「お金には責任が生じる」というのは、あまりにも乱暴で、一方的です。仕事に対して責任を持つことは、良いことでしょう。しかし、責任をお金を理由に押し付けることは、非常に問題で、その考えが、日本人を不幸にしています。

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