経済学は出鱈目

今回は、経済学について考察します。
なぜ、経済学について考えるかというと、経済学が、出鱈目に満ち溢れているからです。
経済学の主張のもと、日本政府はあらゆる経済政策を行っています。しかし、日本は20年間経済成長をしていません。この理由は偏に経済学がおかしいからです。
今回は、経済学がいかに出鱈目なのかを考えます。

経済学は自然科学ではない

経済学は、社会科学の一種です。そして、社会科学は人文科学に含まれます。
現在では、自然科学、人文科学、社会科学の三つに分けられます。しかし、人文科学を人間が行う行動による所産を研究した学問だと定義した場合、社会科学は人文科学に含まれます。
この、人文科学において、経済学は唯一数字を使う学問です。自然科学はもちろん数字を使いますが、誰が検証しても成立します。しかし、経済学が行う数字は検証する人によって結果が異なります。つまり、経済学は自然科学のふりをした、人文科学なのです。

愛は計算じゃ解けない

私は、人文科学を否定してはいません。人文科学が数字を使うことに対して否定しているのです。
過去に、ゲーテがニュートン学派の科学者が数字による証明に固執しているのをみて、愛は数字では測れないといって批判しました。
現代科学のなんでも数字に当てはめることに、私も疑問を持つこともあります。ですが、自然科学における数字は誰が行っても成立はします。
ゲーテの言う通り、愛は数字で測ることはできません。愛とは人文科学そのものです。つまり、経済学は愛を数字で測ろうとする学問なのです。
経済を数字で測ることに対して、違和感を感じる人は少ないでしょう。しかし、愛を数字で測ることに対しては皆がおかしいと思うはずです。私からしてみれば、この両者は全く同じなのです。
さらに、経済学の数式を人間の心理にも当てはめようとする行動経済学は、試みは面白いと思いますが、ただのお笑いです。

ノーベル経済学賞

経済学には、ノーベル経済学賞が存在します。
この受賞者であるポール・クルーグマンはマクロ経済の事を「良くて華々しくて役に立たない、悪くて有害だ」と話しています。
ノーベル経済学賞を受賞して人ですらこの様に発言しています。
そもそも、ノーベル経済学賞はノーベル賞とは関係ありません。
ノーベル経済学賞の正式名称はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞です。この賞は、1968年にスウェーデン国立銀行設立300周年の記念に、作られた賞です。つまり、他のノーベル賞とは全く関係なく、経済学者以外の学者はノーベル経済学賞を否定しています。

結論

以上より、経済学はいかに出鱈目かを考察しました。
ですが、経済学が出鱈目でも、経済学についてはある程度知識は必要だと考えます。その理由として、経済学者のジョーン・ロビンソンは「経済学を学ぶ理由は、経済学に騙されないためです」と言っています。
経済は私たちの日常そのものです。数字を使って詭弁を唱えても、私たちの肌感覚の方が正しいのです。最近だと、政府が数字を持ってきて日本の景気は良くなったと言っていました。しかし、誰も景気が良くなったと感じてはいませんでした。そしたら、案の定政府の発表は嘘でした。この様に、経済は数字ではないのです。
経済学に騙されないためにも、経済学が出鱈目であることを国民一人ひとりが理解する必要があります。

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